【舞台『染、色』 自分なり考察】
先日、正門くん主演舞台『染、色』大阪公演をご縁があって観劇してまいりました!
もう、めちゃくちゃおもしろかった!!!!
人生で(といっても、関西Jr.の関連舞台とか、ディズニー原作のミュージカルとかしか観たことないけど…)一番おもしろい舞台でした!
が、絶対1回じゃ理解できないと思って小説も読んでいったのに話全然違うし、想像以上に内容に頭を悩まされすぎて、自分の中でできた疑問を解決したくなったので文章にすることにしました。
あくまでも超個人的見解ですが、いろんな方の考察を見てると自分も書きたくなってしまったので、書いてみました!
一意見として、良かったらご覧ください…🙏
まず観劇後、私の中で印象的だった言葉と、疑問を感じた点がいくつか出てきました。
それがこちらです。
〇印象的だった言葉 (全部ニュアンスなので、ちょっとづつ違うと思います…)
「秋に咲いた桜は、次の春には咲くのかな?」
「死に方が分かった」
「深馬も自由でしょ。」
「ちゃんとした自由とちゃんとした不幸を持った君には僕の苦しみは分からない。」
「一人じゃ何もできない」
「一度ついた染みは消えない」
〇疑問を感じた点。
真末という存在は一体何だったのか?
なんで周囲と深馬の記憶がすれ違っているのか?(周囲もそれに慣れてる)
最後、深馬のスマホに真末の電話番号は存在していたのか?(繋がらなかった絶望か?)
一つ目の謎:〈真末という存在は一体何だったのか?〉
私は、多くの方がお持ちのように、深馬の中にあるもう一人の人格だったかなと考えました。
私の場合は、深馬が心の中に持っている、本当はこうなりたいけど、なりたかったけど、なれなかった自分、なのかなと考えました。
この考えの裏付けとして、自分の中で印象に残っていた以下のセリフを引き出しました。
- 深馬:「死に方が分かった」
これは、「作品を完成させる方法が分かった」という意味と同時に、自分(深馬)の殺し方が分かった。という意味かなと考えました。
自分の中にある二つの人格、深馬と真末、このうち、作品を完成させることが怖い、自分の感性を作品に爆発しきれていない深馬という人格を殺すことで、もう一人の人格、真末が自分の中で拡大し、本当に満足のいく、描きたいものが描けるようになった。という意味かと考えました。
この考え方より、真末という存在を、実在しないが、自分の心の中にあるもう1人の人格だという裏付ける理由の1つ目としました。
- 真末:「深馬も自由でしょ。」
- 深馬:「ちゃんとした自由とちゃんとした不幸がある君には僕の苦しみは分からない。」
この二つのセリフで言及されている、自由と不幸はどっちも深馬が持ち合わせていない、もしくは持っていないと思い込んでいる要素だと考えます。真末はこれら全てを持ち合わせている点から、真末が深馬の中にいる、本当はなりたい自分、という部分を表現している人格だと裏付ける2つ目の理由としました。
- 真末:「あなたは一人じゃ何もできない」
これは言葉の通り、深馬という存在は、深馬という人格だけでは自分のやりたいことは何一つできない人間であり、深馬自身が納得できる何かをするためには、真末という人格が必要不可欠だ。ということを表した言葉かと考え、3つ目の理由としました。
ここに+で小説では、2人のサインが2人の手形だったのに、舞台のポリダクトリーのサインは6本指ってところも関わってくるのかなと…。
普段の深馬(5本指の深馬)には出せない、本当の自分が6本指になった途端に現れる的な部分もあるのかなと…
以上の理由から、“真末”という存在は、深馬の中にいるもう1人の人格であり、本当はなりたいけどなれない、なれなかった自分を表した存在だと考えました!!
ただ…!!!ここで、私の感じた違和感2つ目、周囲との記憶の相違が邪魔してきます。
(解決できそうやったのに…)
二つ目の謎:〈周囲との記憶の相違〉
劇中の内容、つまり深馬の記憶は北見たち周囲の記憶と全く異なっていました。
つまり、真末が深馬の別人格だろうが、なんだろうが、そもそも真末が存在する世界線なんかないやん。そう思いました。
そこで提唱したいのが、この舞台で表されていたシーンがどこからか、深馬が寝込んでいる間の夢だったのじゃないか説。
でもそれっていつから?
滝川が深馬に企画展の紙を持ってきた頃にはもうたぶん事実と異なった描写になってるんだよな?と思いました。
そうなってくると、もう私はそもそも冒頭から全てが夢の中の話だったのではないか、そう考えることにしました。
舞台のラスト、居酒屋のシーンの後に、展示の絵を深馬が一人で皆に隠れて自分の絵を描き足したり、最初のグラフィティを書き上げるシーンも出てきますが、居酒屋以降のシーンのみが実際に現実で起こっていたことなのではと考えました。
(いや、そのシーンすらもなかった出来事なのかもしれない…?)
この説が事実だったとして、それを頭に置きながら舞台を振り返ると…
舞台上では描写されなかった、深馬たちの暮らしていた現実の世界では、深馬は自分の中の真末という人格を押し殺して過ごしていたからこそ、自分のやりたいことができず、もがき苦しみながらも、日常生活を何とかこなしていた。でも、そうやって自分にウソをつきながら過ごした結果、遂に限界が来て、自分の絵を自分で壊して荒れた挙句、熱中症で倒れて見た夢の中で、本当に自分が過ごしたかった日々を夢として過ごしたことで、自分の記憶を上手くすり替えてしまったのかなと考えました。
真末が夢の中に登場してきた、深馬の別人格、深馬の想像上の人物ということになるので、真末の「君が頼んだんだよ。」というセリフも意味を成してくるのかなと…。
このように、夢の中で理想の自分として過ごして、その記憶を現実での記憶に上書きしてあたかも、夢が現実だったように思いこんでしまったことで、周囲と記憶が合わないようになってしまったのかなと考えました。
居酒屋のシーンで北見たちが「またか…」って言ってたので、その辺はよく分かりませんが、記憶障がいとか精神疾患的な側面も反映されえているのかなと考えます。
以上、なかなか無茶苦茶な部分も多いですが、私の考える、周囲との記憶が異なる理由です。
が、じゃあ真末の部屋に残ってたピンクのスプレーの跡は何だよって話ですよね。しかもあれ深馬だけではつけられない位置についてるしな…ってなるわけです。
この謎と、私の感じていた最後の違和感、最後のシーンで必死にスマホを操作していた深馬は誰に電話をかけようとしていたのか?を繋げて考えたいと思います。
あの部屋に到着して、ピンクのスプレーの跡を見つけた深馬が電話をかけようとした相手、私は真末だと思います。
必死にかけようとして、繋がらず絶望を感じて(いるようにみえた)深馬ですが、果たして、深馬のスマホに真末の電話番号はそもそも存在していたのだろうか?と疑問を持ちました。
私の中では真末は実在しない存在ということになっているので、当然電話番号も存在しないと思うんです。
深馬の感じていたであろう絶望感は、電話番号が存在していないことに対するものだったのか、はたまた繋がらないことに対する絶望だったのか…
電話番号も、すなわち真末自体が存在していなかったとしたら、あのピンクのスプレーはどうやって壁に吹き付けたのか?
正直に言うと、もうこれはファンタジーの領域では!?とか私は思ってます…
(考えることをやめた…)
以上が!私の超個人的、染、色考察でございます!!
お付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。
配信観たかったのに、金土日と3日間時間が全然取れなくて泣く泣く視聴を断念してしまった勢なので…
このもやもやと共にこれからも悩み続けて、染、色を楽しみながら、生きていきたいと思います。😢
超自己満文章ですみませんでした。
本当に、ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました!!